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< しのみーさん展示室 >


 [36]

 

 

         目薬

 

夏休み初日の午後、屋外プールへ行くために
寛樹といつもの喫茶店で待ち合わせた。
そこで彼を待つ間に有線放送から流れてきた
メロディーに、私は思わずハッとなった。
それは去年まで付き合っていた俊彦と
最後に観た映画の挿入歌だった。
寛樹と違ってインドア系の彼は映画が好きで、
そういえば、去年の夏は彼と映画館通いの毎日だった。

 

その曲が流れている間、私の中は彼との思い出で
いっぱいになり、寛樹が来る時間だというのに
ふと涙がこぼれそうになった。
私は持っていたビーチバッグから
あわてて目薬を取り出すと、上を向いてそっとさした。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.14, 15より   

 


 [35]

 

 

 

 

       キャビンマイルド

 

先週の金曜日、宏の煙草がいつものと違っていた。
「昨夜の飲み屋にセブンスターが無くってさ」
そう言いながら、彼は不似合いの
キャビンマイルドに火を点けた。
初めての匂いが、なんとなく落ち着かなかった。

 

そして今日、私の部屋にやってきた彼は
似合わないはずのキャビンマイルドを
テーブルの上に置いた。
「あの日からずっとこれになっちゃった」
そう言って彼は微かに笑った。
ただそれだけの出来事が、
私にはとても気になっていた。

 

駅での別れ際、改札を抜けてから
彼の背中がだんだん小さくなってゆく。
階段の手前で、いつもはもう一度振り返り
手を振るはずの彼がそのままホームへ消えた時、
テーブルの上のキャビンマイルドが
私の中に淋しく浮かび上がっていた。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.36, 37より   

 


 [34]

 

 

 

 

        孝子

 

同僚の結婚式の二次会でのことだった。
「小野くん!」
背後からの声に振り向くと、そこにいたのは
大学時代の友人の孝子だった。
偶然にも彼女は、新婦の幼なじみということで
この会に出席していたのだった。
目の前の彼女は、以前にも増して奇麗になっていた。
そしてその瞬間から、僕の中に眠っていた
セピア色の彼女が、懐かしさとともに動き出していた。

今から8年も前に、彼女に恋したあつい夏があった。
僕も彼女も学校の近くに独り暮らしをしていて、
彼女は夏休みの間、その街にある小さな花屋で
アルバイトしていた。
僕は彼女の笑顔に会いたくて、何度か趣味でもない
花を買いに行ったことがあった。
ところが、彼女はしばらくして僕の親友と恋に堕ちた。
結局、僕の想いは行き場を失ったまま、儚く消えていった。

その後、突然の再会にグラスを重ねたテーブルで、
彼女の口から信じられない言葉がとび出した。
「今だから言えるんだけど、実は私、小野くんのこと
すっごく好きな時があったんだ」
唖然とする僕に彼女は続けた。
「よく花を買いに来てくれたよね。私、小野くんから
花を贈られる人にいつも嫉妬してた・・・」
「・・・」
僕の口から、それ以上何も言葉が出なかった。
そして僕は、彼女の左手薬指に輝くリングを横目に見ながら、
飲めない水割りをぐいと飲み干した。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.76, 77より   

 


 [33]

 

 

 

 

        嫉妬

 

徹はサッカーの社会人チームの選手で、
グランドでの彼を見ていると、
「きっと私のことよりもサッカーのほうが・・・」
なんて変な嫉妬をするくらい輝いて見える。
そんな彼の試合を観にいった日曜日、
寒かった冬の日の出来事だった。

 

試合が終わり、約束通りグランド近くの
レストランで彼と待ち合わせた。
窓の外にはいつのまにか雪が降りだしていた。
寒そうにそれを見つめる私に、
彼は自分が着ていたジャンパーを貸してくれた。

 

駅で彼と別れた帰り道、
私はいつも彼がするように、両手を
ジャンパーのポケットの奥深くにしまい込んだ。
その時、左のポケットに何かが入っているのに気づいた。
出してみると、そこにあったのは
どう見ても女物の赤いハンカチだった。
「きっと、マネージャーの子にでも
何かのきっかけで借りたのだろう」
そう自分に言い聞かせながらも、
今度はポケットの中の赤いハンカチに嫉妬していた。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.58, 59より   

 


 [32]

 

 

 

 

        カレー

 

茂樹の趣味が「料理」というのが
ちょっとくやしい。
それがまた美味しかったりするもんだから
もっとくやしい。
中でもカレーは一級品で、一晩寝かせたその味は
ほんとうにくやしいけれど格別だ。

 

彼は自分の料理を人に食べてもらうのが好きで、
今日も彼の部屋で、友達をたくさん呼んで
ホームパーティーを開いた。
料理は二人が作ったのだが、その場で彼は
私が作ったロールキャベツにケチをつけた。
そのことでみんなが帰った後、彼とけんかになり
結局、後片付けもせずに帰ってきてしまった。

 

「私から謝ったりするもんか」
「謝ってきても絶対許さない」
「後で電話してこのまま別れてやる」
帰り道ではいろんな思いが私の中をよぎっていた。
しかし、料理が上手な彼に私が嫉妬心を
抱いていたのもまた事実だった。
一人の部屋でそれに気づいた時、
とりあえずこの気持ちも彼が作るカレーのように
一晩だけ寝かせてみることにした。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.68, 69より   

 


 [31]

 

 

        写真

 

長い一年のうちで、一番教室がにぎやかなのは
おそらく9月1日の朝、始業式が終わり、
ホームルームが始まるまでの間の教室だろう。
あちこちで陽に灼けたいくつもの顔が、
競い合うように夏の思い出話に花を咲かせている。

 

そんな中で、いきなり伊知郎に差し出された写真は
夏休みに行われた登山キャンプで撮られたもので、
そこには夏を存分に満喫しているかのような
笑顔満面の私がいた。
彼は写真を手渡すと、私と一緒に静かに微笑んだ。
でもこの写真の、私の笑顔の本当の意味に
彼はまだ気づいていない。
ほんとうを言うとこの写真、
彼が持っていてくれたほうがずっと嬉しかったのに。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.54, 55より   

 


 [30]

 

 

 

        ガラス越しの恋

僕がまだ小学生だった頃、通学路に小さな
ペットショップがあって、帰り道にはいつも
ガラスケースの中にいる仔犬の前で立ち止まっていた。
欲しくても手に入れることなど出来ないと
わかっていながら、いつも愛おしく見つめていたものだ。

僕にそんな昔のことを思い出させたのは、
パチンコ屋の景品交換所で働く名前も知らない女性だった。
ガラスの向こうの彼女を意識しだしてからというもの、
何とか彼女と仲良くなる方法はないものかと
ずっとそればかり考えている。

そして彼女はついに、僕の夢にまで登場することになる。
夢の中の僕はとても積極的で、交換所で換金する際に
余り玉によって手に入れたチョコレートを
彼女にプレゼントするのだ。
それを見た彼女は驚きつつも微笑みを返し、
やがてふたりはお互いを認識することになる。
そんなある日、今度は彼女が換金の際にお金の他に
奇麗にラッピングされた品物を返してくる。
開けてみると中身はハートの形をしたチョコレートで、
実はその日はバレンタインデーだったというオチだった。

我ながらよく出来たストーリーだと
目が覚めてから感心していた。
しかし実際の僕は、そんな勇気など持ちあわせている
はずもなく、ガラスの向こうを見つめながら
立ちつくしているあの日の少年のままだ。
そして僕はまたひとつ、ため息をつくことになる。
恋はいつもせつなく、そしていつもままならない。

「ロマンス日和」彩図社 p.28, 29より   

 


 [29]

 

 

          キスの味

 

「ファーストキスはレモンの味」だなんてことを
何によって聞いたのか、それは忘れたけれど、
少なくともそんなことは間違いであると知ったのは
忘れもしない15歳の夏のことだった。

 

そしてそれまでそのことを信じ、裏切られた
可哀相な私のために、ほんとうに
「レモン味のキス」をすることを決意したのは
それから1週間経ってからだった。
私は慎吾の部屋に行く途中、コンビニで
レモンフラッペを2つ買っていった。
「俺は抹茶アイスがよかったのに」
だなんて言う彼の舌はやがて黄色に染まり、
私はその時を待っていた。

 

そしてどちらからともなく長いキス。
しかし哀しいかな、その味はまたしても
彼がおぼえたばかりの、苦い煙草の味だった。

「ロマンス日和」彩図社 p.74, 75より   

 


 [28]

 

 

 

 

           ドラマ

 

毎週、観るのを楽しみにしていたテレビドラマの、
よりによって最終回を見逃してしまった。
そしてその時、私の中にふと浮かび上がったのが、
2カ月前まで堂々と「恋人」と呼べた雅樹の存在だった。
このドラマの第1話の放送は私の部屋でふたりで観た。
「その後、彼もずっとこのドラマを観ていて、
もしかして最終回をビデオ録画しているのでは」
そんな期待から、思い切って電話してみることにした。

 

このドラマというのは主人公の男女が織り成す
典型的なラブストーリーもので、彼と観た第1話では
うまくいっていたふたりが、時が経つにつれ
お互いを傷つけ合い、関係があやしくなっていった。
それはまるで、私と彼との関係に似たものがあって、
私はいつしか、このヒロインと自分とを
オーバーラップさせていた。

 

結局、私の予想は当たって、明日久しぶりに彼と会い、
ビデオテープを借りることになった。
しかし、思えば私はこのしばらくの間、
彼と連絡をとり再会するきっかけを
どこかで探していたような気がする。
もしこのドラマの最終回で、主人公のふたりの関係が
修復し、ハッピーエンドで終わるならば、
私は勇気を出して、もう一度彼に電話してみようと思った。

「ロマンス日和」彩図社 p.72, 73より   

 


 [27]

 

        鏡越しの恋

 

始めは「好意」だった。
それがいつしか「恋」に変わっていた。
最近、美容室にお洒落してくる私に
「今日はこれからどちらへ?」
と、あなたは鏡越しに問いかけるけれど、
ほんとうのことなんて、とても言えはしない。

 

そして、月に一度の逢瀬はまもなくやってくる。
部屋のドレッサーの前には、数時間後には
彼の手によってカットされるであろう黒髪を
ひときわ念入りにブローしている、
こんなにも無邪気な私がいる。

「ロマンス日和」彩図社 p.56, 57より   

 


 [26]

 

 

 

        自動改札

 

暑かった去年の夏のある日のこと、
私は真治といつもの喫茶店で待ち合わせた。
駅に隣接するビルの2Fにあるその店は、
窓から改札を行き来するたくさんの人々が見渡せた。
彼は私と言葉を交わしながらも、
視線は窓の外の人波を見つめていた。

 

「自動改札を子供用の切符で通ると
どうなるのかなあ」
「・・・」
「あと、オンブして通ると一人分で・・・」
そんなくだらないことを彼が真顔で話したことを、
とてもよく憶えている。

 

そんな彼に、私はまるで自動改札に吸い込まれる
切符のように引き寄せられ、
やがて彼から離れた私の心に開いた穴は、
いつまでもふさがらない。

「ロマンス日和」彩図社 p.42, 43より   

 


 [25]

 

 

 

 

        妊婦

 

修は電車の中で、決してお年寄りには
席を譲らないという。
なぜかと聞くと、以前に譲ったら
拒否されたことがあり、
「もしかしてその人は、お年寄りと認めるには若く、
席を譲られたことで気を悪くしたのでは」
と、後になっていろいろと考えたらしかった。
なんとも彼らしい話だ。

 

その彼が今日、電車の中で私の隣りから
急に立ち上がった。
見ると、前方に妊婦と思われる人の姿があった。

 

電車を降り改札へ向かう途中、
私は一歩先を行く彼の大きな背中を見ていた。
すると彼は急に立ち止まり、振り向くと
「あの人、絶対妊婦だったよな?」
と、真面目な顔で私に聞いた。
そんな彼のことが昨日よりも
またひとつ好きになってしまった。

「ロマンス日和」彩図社 p.62, 63より   

 


 [24]

 

 

 

 

        タバスコ

 

週末の午後、僕は大好きなピザが
急に食べたくなり、駅前のイタリア料理屋に
こづえを誘い出した。
そこでピザが出てくる前にテーブルに並べられた
二色のタバスコに、僕は一瞬目を奪われた。
タバスコに緑色のものがあるということを
その時、初めて知った。
テーブル上の赤と緑のコントラストは
まるで横断歩道の信号機のように僕の目に映っていた。

 

そんなことを考えているうちに
その店で僕と彼女はささいなことで口論となり、
赤いタバスコをかけて食べたピザも
なんとも味気ないものになってしまった。

 

彼女と和解したのはそれから十日経った
昨夜のことだった。
そして今朝になって、彼女は僕のために
手作りのピザをこころを込めて焼いてくれた。
驚いたのはその時、テーブル上に
先日見た光景のように二色のタバスコが
並べられたことだった。
そして僕が、初めて緑色のタバスコの味を
知ることが出来た時、僕と彼女は
けんかをする前よりももっといい関係になれた気がした。

「ロマンス日和」彩図社 p.60, 61より   

 


 [23]

 

 

 

 

        マリリン・モンロー

 

いつからかマリリン・モンローは
私の憧れの女性になっていた。
それはおそらく、自分の中に女というものを
意識しだした時だったと思う。
私は彼女の妖艶な大人の雰囲気に
同性ながら魅力を感じ、
「自分もいつかあんな女性になりたい」
と思っていた。

 

先日、私の部屋にやってきた肇は
壁に掛けてあるモンローのパネルを見て、
「そういえば、同じところにホクロがあるな」
と私の顔とを見比べた。
実はそれ以外にモンローと私には
イニシャルが「M・M」であるという
共通点があった。
そのことを彼に話すと、
「それは俺と結婚しても変わらないな」
とポツリとつぶやいた。
そしてその直後に、彼の口から
プロポーズまがいの言葉がとび出した時、
パネルの中のモンローはいつものように
色っぽく笑っていた。

「ロマンス日和」彩図社 p.20, 21より   

 


 [22]

 

 

 

 

 

        ジグソーパズル

 

聖子は美容師で、毎週火曜日の昼間
僕の居ない部屋に洗濯をしに来てくれる。
そして僕が帰る前にはひと仕事を終え、
メモを残し帰ってゆく。

ある火曜日の夜、帰ってみると
部屋の片隅にジグソーパズルのピースが
散らばっていた。
洗濯の間の暇つぶしにと、
彼女が買ってきたらしかった。
それ以来、パズルの進み具合から
その日の昼間、彼女が僕の部屋に
どのくらい居たかが判るようになった。
1000ピースものパズルは
彼女が僕の部屋を訪れる度に
着々と完成へと近づいていった。

そして「今日にも完成」という火曜日の朝、
僕は意地悪にも、ピースをひとつ
こっそりと隠しておいた。
「彼女は部屋中を探し回るに違いない」
僕はそう思いながら部屋を出た。

ところが帰ってみると、予想に反し部屋の様子は
出掛ける前とほとんど変わっていなかった。
部屋の片隅には99.9%完成したパズルと
その横に一言だけ書かれたメモが残されてあった。
「そうやって掃除までさせるつもり?」
彼女の方が僕よりも一枚上手のようだ。

「ロマンス日和」彩図社 p.48, 49より   

 


 [21]

 

 

        電子レンジ

 

仕事を終え、待つ人のない部屋に帰ってくる。
留守電の点滅は今日もない。
明かりをつけ上着を脱ぐと、帰り際にコンビニで
買ってきたお弁当を電子レンジに入れる。
料理は決して嫌いではないのだが、
自分の分だけを作っての独りでの食事は
今の私には少しせつなすぎる。
それは、かつてこの部屋で一緒に暮らしていた
雄司との恋の傷跡が、まだ癒えてない証拠なのかも
しれなかった。

 

「私って恋愛に不向きなのかも」
電子レンジの中で回っているお弁当を見つめながら、
ただそんなことを考えていた。
そして、冷めてしまったあの日の恋も
こんな風に簡単に温め直すことが出来たらと、
ふと心に思った。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.32, 33より   

 


 [20]

 

 

 

        パソコン

 

パソコンのキーの配列を見てみると、
純也のイニシャルであるJの右隣りに
私のイニシャルであるKが仲良く並んでいる。
そんななんてことない現実を、私はひそかに
嬉しく思っていた。

 

昨日の夜、彼と私は珍しくけんかをした。
その原因というのは、彼の携帯電話に
ヒロコという女の人が突然かけてきたことに始まった。
彼はその人を「仕事関係の人間」と言っていて
その言葉を信じてないわけではないけれど、
パソコンのキーの配列上で、Jの左隣りに
Hがあることが、私には少しだけ気になっていたのだ。

 

結局、今日になって私が謝り、以前のふたりに
戻ったけれど、彼を疑った理由が
パソコンのキーの配列に関係してるなんて、
そんなこと絶対に言えない。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.38, 39より   

 


 [19]

 

 

        恋とお酒

 

私にとって、恋とお酒はとてもよく似ている。
恋を失くした時、「もう恋なんてしない」
と思うのも束の間、気がつけばすでに
気になる人が現れていたりする。
それと同じように、今朝のような二日酔いの朝、
「もうお酒なんて・・・」といつも思うのに
夜になり友達から誘いの電話があると、
つい、のこのこと出掛けていってしまうのだ。

 

そんな私を誰よりもよく知っている秀昭は
今朝もだらしない私に呆れた素振りを見せながらも、
酔いがさめるまで、ずっとそばに居てくれた。
でも、この恋だけは絶対にさましたりはしない。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.24, 25より   

 


 [18]

 

 

 

 

        ビー玉

 

昨日の深夜、優一が借りてきたビデオを
ふたりで横になって観た。
大正ロマンを感じさせるその映画の中に、
主人公の男がラムネを飲むシーンがあり、
今朝になってそのことが話題になった。

 

午後になり、私が買い物から帰ってきて
冷蔵庫を開けると、そこには昨夜映画で見たものと
同じラムネが堂々と並べられていた。
彼がどこからか探して買ってきたらしかった。
やがて彼は、冷蔵庫からラムネを取り出すと、
私に昔話を聞かせた。
子供の頃、ビー玉を集めていた彼は
ラムネの瓶の中のビー玉が欲しくて
瓶を割ったことがあるというものだった。

 

そんな話をする時の彼は、
まさに少年のように無邪気で愛おしくもあり、
やがてラムネの栓を開け、飲みだした彼の横顔は
昨夜観た映画の主人公よりも頼もしく、
ビー玉より少し大きめの喉ぼとけを
美味しそうに上下させていた。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.44, 45より   

 


 [17]

 

 

 

 

        ポニーテール

 

ゆきのことが気になりだした時、
僕は2年前の高校時代の恋を思い出していた。
その恋の舞台は学校までの電車の中で、
相手は毎朝決まった時間の電車に乗っている
女子高の生徒だった。
彼女はポニーテールがとても似合っていた。
電車内では山田詠美の本に夢中で
結局、最後まで僕の熱い視線に
気づいてくれることはなかった。
ただ彼女のおかげで、遅刻がちだった
自分の習性が一時的にも改良されたことを
その時ありがたく思っていた。

 

ゆきというのは同じ大学に通う女の子で、
彼女もまたポニーテールがとてもよく似合っている。
同じ大学とはいえ彼女とは学部が別で、
週に一度、木曜日の心理学のゼミでしか
顔を合わすことはない。
先日、幸運にも隣の席に座る機会があり、
久しぶりに自分の胸がキュンとなるのを感じた。
そしてその時から、この恋の今後の戦略を
極めて真面目に考え始めていた。
とりあえず、あのポニーテールのおかげで、
出席点さえあればもらえるこのゼミの単位は
もらったも同然だ。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.64, 65より   

 


 [16]

 

 

        FAX

 

部屋に入り、明かりをつけると
何処からか2枚のFAXが届いていた。
よく見ると、送り主は恋人の弥生で、
どうやら今日、自宅にFAXを購入したらしかった。
そのことがとても嬉しかったとみえて、
電話で話せば済むような、他愛もない出来事を
延々と書き連ねてあった。

 

ところが、哀しかったのは
あいにく我が家のFAX用紙が途中で切れたらしく、
彼女の話が最後まで届いてなかったことだ。
それに気づいた僕は、とても彼女に電話をして
他愛もない話の続きを聞くことが出来ずに、
新しいFAX用紙をセットし終えると
「3枚目から送信してください」
とだけ書いて、彼女にFAXした。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.12, 13より   

 


 [15]

 

 

        景子

 

景子という女が好きだった。
彼女に初めて手紙を書いた日から
僕のパーソナルワープロで「keiko」と
キーを叩き変換すると、どの「けいこ」よりも先に
「景子」が出てくるようになった。
そのことがとても嬉しくて、訳もなく何度も
変換のキーを叩いたりもした。

 

あれから2年。
彼女を思い出した夜、何気なく「keiko」を
変換してみると、いつしか「景子」よりも
「恵子」や「慶子」が優先していた。
彼女は今、どうしているのだろう。
「景子」という文字を見て実行のキーを押した時、
彼女にまた手紙を書きたくなった。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.10, 11より   

 


 [14]

 

 

 

 

        花粉症

 

「どこからともなく春の足音が」なんて言葉が
朝の天気予報の最後に使われるようになった。
それを小耳にはさみながらセーラー服のスカーフを
結ぶ私は、人知れずそっとため息をついている。

いつからだろう。
花粉症という現代の病がこの世に堂々と
幅を利かせ始めたのは。
そしてそれ以来、好きだったはずの春の訪れに
少なからず恐怖を抱き始めたのは、
きっと私だけではないだろう。
私の場合、鼻よりも特に目にくるほうで、
晴れた日には自然と涙がこぼれてくるほど
かなり重症だ。

この季節がそんな私をさらに憂鬱にさせてくれるのは、
もうすぐ大好きなT先輩が卒業してしまうことにあった。
恋にも生まれながらにして与えられた命があって、
気持ちを伝えられないままの片思いが
この恋の運命だったのだと自分に言い聞かせている、
あまりにもつらい日々が続いている。

卒業式の日の校庭で、あのひとの後ろ姿がにじんで見えた。
新しい春をこころよく受け入れるために、
これも花粉症のせいにしてしまおう。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.66, 67より   

 


 [13]

 

 

        赤信号

 

B型の典型ともいうべき次広の性格を人に話す時、
私はいつも「せっかちでマイペース」という
言葉を選んでいた。
その一例を挙げるならば、彼は横断歩道で
信号が赤であろうと車が通らないと見るや、
そそくさと渡って行く。
私と一緒の時でも、困惑している私の手を引いて
平然と歩を進めて行くのだった。

ところが今日、その彼がいつもの様に赤信号で
渡りかけて急に足を止めた。
私は不思議に思いつつ、彼の視線の先を追ってみると
横断歩道の向こうにランドセルを背負った少年が
こちらを見ていたのだった。
私は信号が青に変わるまでの間、つないだ手を
ひときわ強く握っていた。
彼の横顔がいつもよりもさらに愛しく見えた
瞬間だった。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.46, 47より   

 


 [12]

 

 

 

 

 

        代々木上原

 

今から十年以上も前に、僕が初めて独り暮らしをした
代々木上原という街を、先日久しぶりに訪れる機会があった。
当然のことながら、街なみはすっかりと
姿かたちを変えてはいたが、坂道の多い街の輪郭は
あの日のままで、何かほっとした気分になった。
そしてその坂道を下る時、この街で出会った
メリッサという女の子のことを思い出していた。

彼女はイギリス生まれの東京育ちで、
下宿の近くにある大きな家に家族で暮らしていた。
この街で浪人生活を始めた僕は、彼女に
郵便局や図書館の場所を案内してもらったことがある。
日曜日には代々木公園までよく二人で散歩をした。
英語が苦手だった僕に、彼女はやさしく丁寧に
アドバイスしてくれた。
そんな中での一番の思い出は、クリスマスの夜に
僕をホームパーティーに招いてくれたことだった。
しかし思えばその日が、彼女に会った最後の日になった。

合格発表の日に彼女の家を訪れて、
そこにはもう誰も暮らしていないことを知った。
聞けば、家族でイギリスに帰ってしまったという。
ショックだった。
彼女に伝えたかったことは
合格したことだけではなかったのに。

そしてその後すぐ、僕もこの街を離れた。
今でも電車が代々木上原の駅に止まる度に
あの日の恋が、鮮やかなまでによみがえってくる。
若かった19歳の日々が、あまりに眩しく心に痛い。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.40, 41より   

 


 [11]

 

 

 

 

        卒業

 

卒業パーティーの席に、男ともだちの健次が
どんな顔でみんなの前に現れるかとても注目していた。
実は昨日の夕方、彼が大好きなキョンキョンが
結婚発表の記者会見を開いていたのだった。
大学の近くにある彼のアパートはみんなの溜まり場で、
壁や天井にはデビュー当時からの彼女の
ポスターがあちこちに貼りめぐらされていた。
大学で軽音楽部に所属していた彼は、
本格的にミュージシャンを目指した時期もあったが、
4月からは東京を離れ故郷での就職が決まっていた。

 

彼は少し遅れてみんなの前に姿を見せた。
聞けば、近日中に思い出がいっぱい詰まった
アパートを出ることになり、今は荷物の整理に
とても忙しいという。
彼はキョンキョンを「俺の青春そのもの」
とまで言っていた。
その彼女のポスターを、一体彼はどんな気持ちで
壁や天井から剥がすのだろう。
そしてこの4年間、彼女に合わせて髪型を
変えていた私に、彼は結局気づいてはくれなかった。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.30, 31より   

 


 [10]

 

 

 

 

        桃子

 

家から駅までの道の途中に古くからの写真館がある。
そこの娘に僕はいつからか恋をしていた。
といっても、彼女に直接会ったことなどない。
その写真館のショーウインドーには
いつもモデルとして彼女の凛々しい姿があったのだ。

 

彼女を初めて見たのは晴れ着を着て
千歳飴を持った七五三の時の写真だった。
以来、服装が変わるにつれ、少女から
女へと近づいてゆく彼女の姿が見てとれた。
彼女は菊池桃子に少し似ていたので、
僕は勝手に「桃子」と呼んでいた。
しかし当然、彼女は僕の存在など知る由もなかった。

 

そんな彼女に、僕はついに出会ってしまった。
彼女は写真館の前で、恋人らしき男の車から
出てくると、愛くるしい笑顔で男に手を振った。
まぎれもなくショーウインドーの中の
「桃子」だったのだ。
それ以来、今は紺のワンピースが似合っている
ショーウインドーの中の彼女の姿が
純白のウエディングドレスに変わる日を恐れて、
駅までの道を少し遠回りさせている。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.16, 17より   

 


 [9]

 

 

 

 

        髪

 

先日、同僚であり親友でもある明美が
背中まであった髪をバッサリと切って
オフィスに現れた。
その場に居た上司はからかい気味に
「失恋でもしたの?」
と彼女の表情を伺っていたが、
彼女とその彼氏の仲をよく知る私には
そんなはずはないことくらい
彼女が言葉を返す前から明らかだった。
大体、失恋して髪を切るという行為自体、
今までの私に経験もなければ、
そんな友人を持った記憶もなかった。

 

正人が二人で暮らした部屋を出て、
今日で十日になる。
別離は私から切り出したはずなのに
夜毎、部屋に独りで居るのがたまらず、
こうしてまた、いつもの浜辺に来てしまった。
遠くを見つめながら波の音を聞いていると
潮の香りにまぎれて、ほのかに彼の匂いがした。
彼が喫うショートホープの匂いが私の髪に
染みついてはなれない。
私は涙が頬を伝うのを感じながら、
失恋して髪を切る人の気持ちが
その時、初めてわかる気がした。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.6, 7より   

 


 [8]

 

 

 

        冬眠

 

「熊って冬眠するんじゃなかったっけ?」
上野動物園の熊のオリの前で巧がつぶやいた。
季節は秋も深まり、やがて冬を迎えようとしていた。

 

私の恋には不思議な、そして哀しいジンクスがある。
今までに多くもなく少なくもない
人並みの恋愛をしてきたつもりなのだが、
過去に私は恋人と冬を迎えたことがない。
クリスマスやバレンタインデーがあり、
女の子にとって一番恋人にそばにいてほしいこの季節を
私はいつも独りで過してきたのだ。
温かい春や暑い夏の間はとてもうまくいっている関係が
涼しい秋になり、やがて寒い冬が近づくと、
なぜかすっかりと冷めきってしまう。
そして私はまるで、枝から舞い落ちる枯葉のように
路傍をさまようことになる。
「ヘビやカエルのように冬眠して意識のないまま
無難に冬を乗り切ることが出来たら・・・」
そんなことを考えたこともあった。

 

「動物園の熊って冬に来てもいるよな、
どうしてんだろう」
小春日和の陽だまりの中でそんなことを言う
彼の横顔を、私は祈る思いで見つめていた。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.70, 71より   

 


 [7]

 

 

        手紙

 

基本的に、僕は人に手紙を書く時には
とりあえず下書きをすることにしている。
そして出来ればそれを一晩ほど置いてみて
改めて読んでから、便箋に綴り直す。
一時の感情の勢いで、相手に失礼や誤解を
与えないようにするためだ。

 

しかし、それにも例外があって、
好きな人に自分の気持ちを伝える場合などは
僕の場合、勢いでしか書けない。
次の日に読み直すことなどもってのほかで、
小心者の僕は、書き上がった途端、
ポストに走るしかないのだ。
そしてそれを投函した時の僕といったら、
きっと目の前のポストに負けないくらい
赤くなっているに違いない。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.52, 53より   

 


 [6]

 

 

 

        カレンダー

 

裕介へのクリスマスプレゼントについて
12月に入り、ずっと悩まされ続けている。    
「手編みのマフラーなんて
期待されてたらどうしよう」
哀しいかな、私にはそんな器量はない。
彼と迎える初めてのクリスマスなのに
心は憂鬱だった。

 

デパートで何にしようか迷った挙句、
選んだものは彼の部屋に似合いそうな
極めてシンプルなカレンダーだった。
「来年も1年間、私をよろしく。
そして、この中の1日でも多く
私と同じ時間を過ごしてください」
という気持ちを込めたつもりだった。
カレンダー売り場でそんなことを考えていると
自分の部屋にも同じものが欲しくなってきて
結局、2つ買ってしまった。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.50, 51より   

 


 [5]

 

 

 

        再会

 

半年前まで付き合っていた光司から、
昨夜、突然電話があった。
ぎこちない挨拶から始まったその電話の内容は
学生時代の共通の友人である雅治が
月末に結婚するというものだった。
それで私たちが別れたことを知らない雅治から
パーティーの招待状が二人宛に届いているので
どうするかということだった。
私は雅治や他の友人と会えるのが楽しみで、
迷わず出席することにした。

 

すると彼から、当日着ていく洋服についての
相談をもちかけられた。
結局、パーティーの日に
「未だうまくいってる二人」を装うために
日曜日に彼と会い、一緒に買い物をすることになった。
そう決まった時から、私の中では
パーティー当日よりも久しぶりに彼と会う
日曜日に着る服の方が、とても気になり始めていた。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.8, 9より   

 


 [4]

 

 

 

 

        距離

 

子供の頃、買ってもらったばかりの
ピンクの長靴を履きたいのに
なかなか雨が降らず、
あまりのじれったさに晴れた日に
学校に履いていったことがある。

 

そんな話を電話の向こうの和也は
「おまえらしいな」
と、いつまでも笑っていた。
彼が仕事の関係で東京を離れてから、
もうすぐ半年になる。
会いたい時に会えないじれったさを
せつに感じる毎日だった。

 

電話の途中、外では雨が降りだした。
でも、彼が居る場所は星空がとても奇麗だという。
その距離があまりに哀しくて、
私は彼に「おやすみ」を言った後、
訳もなく窓を開け、雨空を見上げた。
風に吹かれ、頬に雨の雫が落ちた時、
私の心はすでにびしょ濡れだった。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.22, 23より   

 


 [3]

 

        嫌いになる理由

 

それまでは理想のタイプを聞かれて
「楽しい人」と答えていた私なのに、
物静かな男を絵に描いたような涼のことを
こんなにも好きになるなんて、夢にも思わなかった。

 

そんな意味で「人を好きになるのに理由なんてない」
ということを私に教えてくれた彼だったのに、
一緒に歩くことが出来ないとわかった今、
その彼を嫌いになる理由を、いくら探しても見つからない。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.18, 19より   

 


 [2]

 

 

 

 

 

            虹

 

早朝まで降った雨のせいで、登校途中に
学校のそばにある橋の上から虹を見ることが出来た。
その虹が過去に見たものと違ったところは
一つだけではなく二つ、奇麗な二重のアーチが
川の両岸を結んでいたのだった。
その七色の美しさたるや、言葉では言い表わせない程で、
「きっともう見ることは出来ないこの光景を
目に焼きつけておきたい。そしてこの虹が
消えてゆくさまを見届けたい」
そう思った僕は時を忘れ、しばらくの間
橋の上に佇んでいた。

 

驚いたのはそう思ったのはどうやら僕だけではなく
気がつけば、隣のクラスの美穂が少し離れたところで
虹の行く末を見つめていたのだった。
彼女は成績優秀な極めて模範的な生徒で、
存在自体は知っていたが口をきいたことなどなかった。
そして、僕と彼女は始業のチャイムを
その場所で聞くことになった。

 

結局、遅刻のペナルティーとしてホームルームの間
廊下に立たされることになったのだが、
教室を出てみてさらに驚いた。
なんと美穂もさっきと同じくらいの間隔で
立たされていたのだった。
ふたりは顔を見合わせ、しばらくの間笑っていた。
そして、落ちこぼれの僕と優等生の彼女の
橋渡しをしてくれた虹に、今もまだ感謝している。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.34, 35より   

 


 [1]

 

 

 

           情

 

人間には情というものがあり、
友達に言わせると、どうやら僕にはそれが
人一倍濃いようだ。
初恋の女性からもらった手紙や、
嫌いになって別れたはずの彼女が
編んでくれたセーターなどを、
とても捨てられずに、押し入れの奥にしまってある。
未練などとても無いが、その時相手に対して
抱いた感情は今でも鮮明に憶えていて、
時々ふと、相手を想い返すことがある。

 

そのことを恋人の久美子に
誤解されないように慎重に話した。
すると彼女は、
「わかる、わかる、その気持ち」
と、微笑みながら平然と言ってのけた。
彼女も前の男の写真や、男にもらった
アクセサリーなどを大事に持っていたり
するのだろうか。
何とも複雑な気持ちだ。

 

「ロマンス日和」彩図社 p.26, 27より