| < しのみーさん展示室 > |
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目薬
夏休み初日の午後、屋外プールへ行くために 寛樹といつもの喫茶店で待ち合わせた。 そこで彼を待つ間に有線放送から流れてきた メロディーに、私は思わずハッとなった。 それは去年まで付き合っていた俊彦と 最後に観た映画の挿入歌だった。 寛樹と違ってインドア系の彼は映画が好きで、 そういえば、去年の夏は彼と映画館通いの毎日だった。 その曲が流れている間、私の中は彼との思い出で いっぱいになり、寛樹が来る時間だというのに ふと涙がこぼれそうになった。 私は持っていたビーチバッグから あわてて目薬を取り出すと、上を向いてそっとさした。 |
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キャビンマイルド
先週の金曜日、宏の煙草がいつものと違っていた。 「昨夜の飲み屋にセブンスターが無くってさ」 そう言いながら、彼は不似合いの キャビンマイルドに火を点けた。 初めての匂いが、なんとなく落ち着かなかった。 そして今日、私の部屋にやってきた彼は 似合わないはずのキャビンマイルドを テーブルの上に置いた。 「あの日からずっとこれになっちゃった」 そう言って彼は微かに笑った。 ただそれだけの出来事が、 私にはとても気になっていた。 駅での別れ際、改札を抜けてから 彼の背中がだんだん小さくなってゆく。 階段の手前で、いつもはもう一度振り返り 手を振るはずの彼がそのままホームへ消えた時、 テーブルの上のキャビンマイルドが 私の中に淋しく浮かび上がっていた。 |
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孝子
同僚の結婚式の二次会でのことだった。 「小野くん!」 背後からの声に振り向くと、そこにいたのは 大学時代の友人の孝子だった。 偶然にも彼女は、新婦の幼なじみということで この会に出席していたのだった。 目の前の彼女は、以前にも増して奇麗になっていた。 そしてその瞬間から、僕の中に眠っていた セピア色の彼女が、懐かしさとともに動き出していた。 今から8年も前に、彼女に恋したあつい夏があった。 僕も彼女も学校の近くに独り暮らしをしていて、 彼女は夏休みの間、その街にある小さな花屋で アルバイトしていた。 僕は彼女の笑顔に会いたくて、何度か趣味でもない 花を買いに行ったことがあった。 ところが、彼女はしばらくして僕の親友と恋に堕ちた。 結局、僕の想いは行き場を失ったまま、儚く消えていった。 その後、突然の再会にグラスを重ねたテーブルで、 彼女の口から信じられない言葉がとび出した。 「今だから言えるんだけど、実は私、小野くんのこと すっごく好きな時があったんだ」 唖然とする僕に彼女は続けた。 「よく花を買いに来てくれたよね。私、小野くんから 花を贈られる人にいつも嫉妬してた・・・」 「・・・」 僕の口から、それ以上何も言葉が出なかった。 そして僕は、彼女の左手薬指に輝くリングを横目に見ながら、 飲めない水割りをぐいと飲み干した。 |
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嫉妬
徹はサッカーの社会人チームの選手で、 グランドでの彼を見ていると、 「きっと私のことよりもサッカーのほうが・・・」 なんて変な嫉妬をするくらい輝いて見える。 そんな彼の試合を観にいった日曜日、 寒かった冬の日の出来事だった。 試合が終わり、約束通りグランド近くの レストランで彼と待ち合わせた。 窓の外にはいつのまにか雪が降りだしていた。 寒そうにそれを見つめる私に、 彼は自分が着ていたジャンパーを貸してくれた。 駅で彼と別れた帰り道、 私はいつも彼がするように、両手を ジャンパーのポケットの奥深くにしまい込んだ。 その時、左のポケットに何かが入っているのに気づいた。 出してみると、そこにあったのは どう見ても女物の赤いハンカチだった。 「きっと、マネージャーの子にでも 何かのきっかけで借りたのだろう」 そう自分に言い聞かせながらも、 今度はポケットの中の赤いハンカチに嫉妬していた。 |
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カレー
茂樹の趣味が「料理」というのが ちょっとくやしい。 それがまた美味しかったりするもんだから もっとくやしい。 中でもカレーは一級品で、一晩寝かせたその味は ほんとうにくやしいけれど格別だ。 彼は自分の料理を人に食べてもらうのが好きで、 今日も彼の部屋で、友達をたくさん呼んで ホームパーティーを開いた。 料理は二人が作ったのだが、その場で彼は 私が作ったロールキャベツにケチをつけた。 そのことでみんなが帰った後、彼とけんかになり 結局、後片付けもせずに帰ってきてしまった。 「私から謝ったりするもんか」 「謝ってきても絶対許さない」 「後で電話してこのまま別れてやる」 帰り道ではいろんな思いが私の中をよぎっていた。 しかし、料理が上手な彼に私が嫉妬心を 抱いていたのもまた事実だった。 一人の部屋でそれに気づいた時、 とりあえずこの気持ちも彼が作るカレーのように 一晩だけ寝かせてみることにした。 |
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写真
長い一年のうちで、一番教室がにぎやかなのは おそらく9月1日の朝、始業式が終わり、 ホームルームが始まるまでの間の教室だろう。 あちこちで陽に灼けたいくつもの顔が、 競い合うように夏の思い出話に花を咲かせている。 そんな中で、いきなり伊知郎に差し出された写真は 夏休みに行われた登山キャンプで撮られたもので、 そこには夏を存分に満喫しているかのような 笑顔満面の私がいた。 彼は写真を手渡すと、私と一緒に静かに微笑んだ。 でもこの写真の、私の笑顔の本当の意味に 彼はまだ気づいていない。 ほんとうを言うとこの写真、 彼が持っていてくれたほうがずっと嬉しかったのに。 |
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ガラス越しの恋
僕がまだ小学生だった頃、通学路に小さな ペットショップがあって、帰り道にはいつも ガラスケースの中にいる仔犬の前で立ち止まっていた。 欲しくても手に入れることなど出来ないと わかっていながら、いつも愛おしく見つめていたものだ。 僕にそんな昔のことを思い出させたのは、 パチンコ屋の景品交換所で働く名前も知らない女性だった。 ガラスの向こうの彼女を意識しだしてからというもの、 何とか彼女と仲良くなる方法はないものかと ずっとそればかり考えている。 そして彼女はついに、僕の夢にまで登場することになる。 夢の中の僕はとても積極的で、交換所で換金する際に 余り玉によって手に入れたチョコレートを 彼女にプレゼントするのだ。 それを見た彼女は驚きつつも微笑みを返し、 やがてふたりはお互いを認識することになる。 そんなある日、今度は彼女が換金の際にお金の他に 奇麗にラッピングされた品物を返してくる。 開けてみると中身はハートの形をしたチョコレートで、 実はその日はバレンタインデーだったというオチだった。 我ながらよく出来たストーリーだと 目が覚めてから感心していた。 しかし実際の僕は、そんな勇気など持ちあわせている はずもなく、ガラスの向こうを見つめながら 立ちつくしているあの日の少年のままだ。 そして僕はまたひとつ、ため息をつくことになる。 恋はいつもせつなく、そしていつもままならない。 |
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キスの味
「ファーストキスはレモンの味」だなんてことを 何によって聞いたのか、それは忘れたけれど、 少なくともそんなことは間違いであると知ったのは 忘れもしない15歳の夏のことだった。 そしてそれまでそのことを信じ、裏切られた 可哀相な私のために、ほんとうに 「レモン味のキス」をすることを決意したのは それから1週間経ってからだった。 私は慎吾の部屋に行く途中、コンビニで レモンフラッペを2つ買っていった。 「俺は抹茶アイスがよかったのに」 だなんて言う彼の舌はやがて黄色に染まり、 私はその時を待っていた。 そしてどちらからともなく長いキス。 しかし哀しいかな、その味はまたしても 彼がおぼえたばかりの、苦い煙草の味だった。 |
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ドラマ
毎週、観るのを楽しみにしていたテレビドラマの、 よりによって最終回を見逃してしまった。 そしてその時、私の中にふと浮かび上がったのが、 2カ月前まで堂々と「恋人」と呼べた雅樹の存在だった。 このドラマの第1話の放送は私の部屋でふたりで観た。 「その後、彼もずっとこのドラマを観ていて、 もしかして最終回をビデオ録画しているのでは」 そんな期待から、思い切って電話してみることにした。 このドラマというのは主人公の男女が織り成す 典型的なラブストーリーもので、彼と観た第1話では うまくいっていたふたりが、時が経つにつれ お互いを傷つけ合い、関係があやしくなっていった。 それはまるで、私と彼との関係に似たものがあって、 私はいつしか、このヒロインと自分とを オーバーラップさせていた。 結局、私の予想は当たって、明日久しぶりに彼と会い、 ビデオテープを借りることになった。 しかし、思えば私はこのしばらくの間、 彼と連絡をとり再会するきっかけを どこかで探していたような気がする。 もしこのドラマの最終回で、主人公のふたりの関係が 修復し、ハッピーエンドで終わるならば、 私は勇気を出して、もう一度彼に電話してみようと思った。 |
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鏡越しの恋
始めは「好意」だった。 それがいつしか「恋」に変わっていた。 最近、美容室にお洒落してくる私に 「今日はこれからどちらへ?」 と、あなたは鏡越しに問いかけるけれど、 ほんとうのことなんて、とても言えはしない。 そして、月に一度の逢瀬はまもなくやってくる。 部屋のドレッサーの前には、数時間後には 彼の手によってカットされるであろう黒髪を ひときわ念入りにブローしている、 こんなにも無邪気な私がいる。 |
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自動改札
暑かった去年の夏のある日のこと、 私は真治といつもの喫茶店で待ち合わせた。 駅に隣接するビルの2Fにあるその店は、 窓から改札を行き来するたくさんの人々が見渡せた。 彼は私と言葉を交わしながらも、 視線は窓の外の人波を見つめていた。 「自動改札を子供用の切符で通ると どうなるのかなあ」 「・・・」 「あと、オンブして通ると一人分で・・・」 そんなくだらないことを彼が真顔で話したことを、 とてもよく憶えている。 そんな彼に、私はまるで自動改札に吸い込まれる 切符のように引き寄せられ、 やがて彼から離れた私の心に開いた穴は、 いつまでもふさがらない。 |
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妊婦
修は電車の中で、決してお年寄りには 席を譲らないという。 なぜかと聞くと、以前に譲ったら 拒否されたことがあり、 「もしかしてその人は、お年寄りと認めるには若く、 席を譲られたことで気を悪くしたのでは」 と、後になっていろいろと考えたらしかった。 なんとも彼らしい話だ。 その彼が今日、電車の中で私の隣りから 急に立ち上がった。 見ると、前方に妊婦と思われる人の姿があった。 電車を降り改札へ向かう途中、 私は一歩先を行く彼の大きな背中を見ていた。 すると彼は急に立ち止まり、振り向くと 「あの人、絶対妊婦だったよな?」 と、真面目な顔で私に聞いた。 そんな彼のことが昨日よりも またひとつ好きになってしまった。 |
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タバスコ
週末の午後、僕は大好きなピザが 急に食べたくなり、駅前のイタリア料理屋に こづえを誘い出した。 そこでピザが出てくる前にテーブルに並べられた 二色のタバスコに、僕は一瞬目を奪われた。 タバスコに緑色のものがあるということを その時、初めて知った。 テーブル上の赤と緑のコントラストは まるで横断歩道の信号機のように僕の目に映っていた。 そんなことを考えているうちに その店で僕と彼女はささいなことで口論となり、 赤いタバスコをかけて食べたピザも なんとも味気ないものになってしまった。 彼女と和解したのはそれから十日経った 昨夜のことだった。 そして今朝になって、彼女は僕のために 手作りのピザをこころを込めて焼いてくれた。 驚いたのはその時、テーブル上に 先日見た光景のように二色のタバスコが 並べられたことだった。 そして僕が、初めて緑色のタバスコの味を 知ることが出来た時、僕と彼女は けんかをする前よりももっといい関係になれた気がした。 |
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マリリン・モンロー
いつからかマリリン・モンローは 私の憧れの女性になっていた。 それはおそらく、自分の中に女というものを 意識しだした時だったと思う。 私は彼女の妖艶な大人の雰囲気に 同性ながら魅力を感じ、 「自分もいつかあんな女性になりたい」 と思っていた。 先日、私の部屋にやってきた肇は 壁に掛けてあるモンローのパネルを見て、 「そういえば、同じところにホクロがあるな」 と私の顔とを見比べた。 実はそれ以外にモンローと私には イニシャルが「M・M」であるという 共通点があった。 そのことを彼に話すと、 「それは俺と結婚しても変わらないな」 とポツリとつぶやいた。 そしてその直後に、彼の口から プロポーズまがいの言葉がとび出した時、 パネルの中のモンローはいつものように 色っぽく笑っていた。 |
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ジグソーパズル
聖子は美容師で、毎週火曜日の昼間 僕の居ない部屋に洗濯をしに来てくれる。 そして僕が帰る前にはひと仕事を終え、 メモを残し帰ってゆく。 ある火曜日の夜、帰ってみると 部屋の片隅にジグソーパズルのピースが 散らばっていた。 洗濯の間の暇つぶしにと、 彼女が買ってきたらしかった。 それ以来、パズルの進み具合から その日の昼間、彼女が僕の部屋に どのくらい居たかが判るようになった。 1000ピースものパズルは 彼女が僕の部屋を訪れる度に 着々と完成へと近づいていった。 そして「今日にも完成」という火曜日の朝、 僕は意地悪にも、ピースをひとつ こっそりと隠しておいた。 「彼女は部屋中を探し回るに違いない」 僕はそう思いながら部屋を出た。 ところが帰ってみると、予想に反し部屋の様子は 出掛ける前とほとんど変わっていなかった。 部屋の片隅には99.9%完成したパズルと その横に一言だけ書かれたメモが残されてあった。 「そうやって掃除までさせるつもり?」 彼女の方が僕よりも一枚上手のようだ。 |
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電子レンジ
仕事を終え、待つ人のない部屋に帰ってくる。 留守電の点滅は今日もない。 明かりをつけ上着を脱ぐと、帰り際にコンビニで 買ってきたお弁当を電子レンジに入れる。 料理は決して嫌いではないのだが、 自分の分だけを作っての独りでの食事は 今の私には少しせつなすぎる。 それは、かつてこの部屋で一緒に暮らしていた 雄司との恋の傷跡が、まだ癒えてない証拠なのかも しれなかった。 「私って恋愛に不向きなのかも」 電子レンジの中で回っているお弁当を見つめながら、 ただそんなことを考えていた。 そして、冷めてしまったあの日の恋も こんな風に簡単に温め直すことが出来たらと、 ふと心に思った。 |
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パソコン
パソコンのキーの配列を見てみると、 純也のイニシャルであるJの右隣りに 私のイニシャルであるKが仲良く並んでいる。 そんななんてことない現実を、私はひそかに 嬉しく思っていた。 昨日の夜、彼と私は珍しくけんかをした。 その原因というのは、彼の携帯電話に ヒロコという女の人が突然かけてきたことに始まった。 彼はその人を「仕事関係の人間」と言っていて その言葉を信じてないわけではないけれど、 パソコンのキーの配列上で、Jの左隣りに Hがあることが、私には少しだけ気になっていたのだ。 結局、今日になって私が謝り、以前のふたりに 戻ったけれど、彼を疑った理由が パソコンのキーの配列に関係してるなんて、 そんなこと絶対に言えない。 |
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恋とお酒
私にとって、恋とお酒はとてもよく似ている。 恋を失くした時、「もう恋なんてしない」 と思うのも束の間、気がつけばすでに 気になる人が現れていたりする。 それと同じように、今朝のような二日酔いの朝、 「もうお酒なんて・・・」といつも思うのに 夜になり友達から誘いの電話があると、 つい、のこのこと出掛けていってしまうのだ。 そんな私を誰よりもよく知っている秀昭は 今朝もだらしない私に呆れた素振りを見せながらも、 酔いがさめるまで、ずっとそばに居てくれた。 でも、この恋だけは絶対にさましたりはしない。 |
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ビー玉
昨日の深夜、優一が借りてきたビデオを ふたりで横になって観た。 大正ロマンを感じさせるその映画の中に、 主人公の男がラムネを飲むシーンがあり、 今朝になってそのことが話題になった。 午後になり、私が買い物から帰ってきて 冷蔵庫を開けると、そこには昨夜映画で見たものと 同じラムネが堂々と並べられていた。 彼がどこからか探して買ってきたらしかった。 やがて彼は、冷蔵庫からラムネを取り出すと、 私に昔話を聞かせた。 子供の頃、ビー玉を集めていた彼は ラムネの瓶の中のビー玉が欲しくて 瓶を割ったことがあるというものだった。 そんな話をする時の彼は、 まさに少年のように無邪気で愛おしくもあり、 やがてラムネの栓を開け、飲みだした彼の横顔は 昨夜観た映画の主人公よりも頼もしく、 ビー玉より少し大きめの喉ぼとけを 美味しそうに上下させていた。 |
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ポニーテール
ゆきのことが気になりだした時、 僕は2年前の高校時代の恋を思い出していた。 その恋の舞台は学校までの電車の中で、 相手は毎朝決まった時間の電車に乗っている 女子高の生徒だった。 彼女はポニーテールがとても似合っていた。 電車内では山田詠美の本に夢中で 結局、最後まで僕の熱い視線に 気づいてくれることはなかった。 ただ彼女のおかげで、遅刻がちだった 自分の習性が一時的にも改良されたことを その時ありがたく思っていた。 ゆきというのは同じ大学に通う女の子で、 彼女もまたポニーテールがとてもよく似合っている。 同じ大学とはいえ彼女とは学部が別で、 週に一度、木曜日の心理学のゼミでしか 顔を合わすことはない。 先日、幸運にも隣の席に座る機会があり、 久しぶりに自分の胸がキュンとなるのを感じた。 そしてその時から、この恋の今後の戦略を 極めて真面目に考え始めていた。 とりあえず、あのポニーテールのおかげで、 出席点さえあればもらえるこのゼミの単位は もらったも同然だ。 |
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FAX
部屋に入り、明かりをつけると 何処からか2枚のFAXが届いていた。 よく見ると、送り主は恋人の弥生で、 どうやら今日、自宅にFAXを購入したらしかった。 そのことがとても嬉しかったとみえて、 電話で話せば済むような、他愛もない出来事を 延々と書き連ねてあった。 ところが、哀しかったのは あいにく我が家のFAX用紙が途中で切れたらしく、 彼女の話が最後まで届いてなかったことだ。 それに気づいた僕は、とても彼女に電話をして 他愛もない話の続きを聞くことが出来ずに、 新しいFAX用紙をセットし終えると 「3枚目から送信してください」 とだけ書いて、彼女にFAXした。 |
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景子
景子という女が好きだった。 彼女に初めて手紙を書いた日から 僕のパーソナルワープロで「keiko」と キーを叩き変換すると、どの「けいこ」よりも先に 「景子」が出てくるようになった。 そのことがとても嬉しくて、訳もなく何度も 変換のキーを叩いたりもした。 あれから2年。 彼女を思い出した夜、何気なく「keiko」を 変換してみると、いつしか「景子」よりも 「恵子」や「慶子」が優先していた。 彼女は今、どうしているのだろう。 「景子」という文字を見て実行のキーを押した時、 彼女にまた手紙を書きたくなった。 |
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花粉症
「どこからともなく春の足音が」なんて言葉が 朝の天気予報の最後に使われるようになった。 それを小耳にはさみながらセーラー服のスカーフを 結ぶ私は、人知れずそっとため息をついている。 いつからだろう。 花粉症という現代の病がこの世に堂々と 幅を利かせ始めたのは。 そしてそれ以来、好きだったはずの春の訪れに 少なからず恐怖を抱き始めたのは、 きっと私だけではないだろう。 私の場合、鼻よりも特に目にくるほうで、 晴れた日には自然と涙がこぼれてくるほど かなり重症だ。 この季節がそんな私をさらに憂鬱にさせてくれるのは、 もうすぐ大好きなT先輩が卒業してしまうことにあった。 恋にも生まれながらにして与えられた命があって、 気持ちを伝えられないままの片思いが この恋の運命だったのだと自分に言い聞かせている、 あまりにもつらい日々が続いている。 卒業式の日の校庭で、あのひとの後ろ姿がにじんで見えた。 新しい春をこころよく受け入れるために、 これも花粉症のせいにしてしまおう。 |
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赤信号
B型の典型ともいうべき次広の性格を人に話す時、 私はいつも「せっかちでマイペース」という 言葉を選んでいた。 その一例を挙げるならば、彼は横断歩道で 信号が赤であろうと車が通らないと見るや、 そそくさと渡って行く。 私と一緒の時でも、困惑している私の手を引いて 平然と歩を進めて行くのだった。 ところが今日、その彼がいつもの様に赤信号で 渡りかけて急に足を止めた。 私は不思議に思いつつ、彼の視線の先を追ってみると 横断歩道の向こうにランドセルを背負った少年が こちらを見ていたのだった。 私は信号が青に変わるまでの間、つないだ手を ひときわ強く握っていた。 彼の横顔がいつもよりもさらに愛しく見えた 瞬間だった。 |
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代々木上原
今から十年以上も前に、僕が初めて独り暮らしをした 代々木上原という街を、先日久しぶりに訪れる機会があった。 当然のことながら、街なみはすっかりと 姿かたちを変えてはいたが、坂道の多い街の輪郭は あの日のままで、何かほっとした気分になった。 そしてその坂道を下る時、この街で出会った メリッサという女の子のことを思い出していた。 彼女はイギリス生まれの東京育ちで、 下宿の近くにある大きな家に家族で暮らしていた。 この街で浪人生活を始めた僕は、彼女に 郵便局や図書館の場所を案内してもらったことがある。 日曜日には代々木公園までよく二人で散歩をした。 英語が苦手だった僕に、彼女はやさしく丁寧に アドバイスしてくれた。 そんな中での一番の思い出は、クリスマスの夜に 僕をホームパーティーに招いてくれたことだった。 しかし思えばその日が、彼女に会った最後の日になった。 合格発表の日に彼女の家を訪れて、 そこにはもう誰も暮らしていないことを知った。 聞けば、家族でイギリスに帰ってしまったという。 ショックだった。 彼女に伝えたかったことは 合格したことだけではなかったのに。 そしてその後すぐ、僕もこの街を離れた。 今でも電車が代々木上原の駅に止まる度に あの日の恋が、鮮やかなまでによみがえってくる。 若かった19歳の日々が、あまりに眩しく心に痛い。 |
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卒業
卒業パーティーの席に、男ともだちの健次が どんな顔でみんなの前に現れるかとても注目していた。 実は昨日の夕方、彼が大好きなキョンキョンが 結婚発表の記者会見を開いていたのだった。 大学の近くにある彼のアパートはみんなの溜まり場で、 壁や天井にはデビュー当時からの彼女の ポスターがあちこちに貼りめぐらされていた。 大学で軽音楽部に所属していた彼は、 本格的にミュージシャンを目指した時期もあったが、 4月からは東京を離れ故郷での就職が決まっていた。 彼は少し遅れてみんなの前に姿を見せた。 聞けば、近日中に思い出がいっぱい詰まった アパートを出ることになり、今は荷物の整理に とても忙しいという。 彼はキョンキョンを「俺の青春そのもの」 とまで言っていた。 その彼女のポスターを、一体彼はどんな気持ちで 壁や天井から剥がすのだろう。 そしてこの4年間、彼女に合わせて髪型を 変えていた私に、彼は結局気づいてはくれなかった。 |
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桃子
家から駅までの道の途中に古くからの写真館がある。 そこの娘に僕はいつからか恋をしていた。 といっても、彼女に直接会ったことなどない。 その写真館のショーウインドーには いつもモデルとして彼女の凛々しい姿があったのだ。 彼女を初めて見たのは晴れ着を着て 千歳飴を持った七五三の時の写真だった。 以来、服装が変わるにつれ、少女から 女へと近づいてゆく彼女の姿が見てとれた。 彼女は菊池桃子に少し似ていたので、 僕は勝手に「桃子」と呼んでいた。 しかし当然、彼女は僕の存在など知る由もなかった。 そんな彼女に、僕はついに出会ってしまった。 彼女は写真館の前で、恋人らしき男の車から 出てくると、愛くるしい笑顔で男に手を振った。 まぎれもなくショーウインドーの中の 「桃子」だったのだ。 それ以来、今は紺のワンピースが似合っている ショーウインドーの中の彼女の姿が 純白のウエディングドレスに変わる日を恐れて、 駅までの道を少し遠回りさせている。 |
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髪
先日、同僚であり親友でもある明美が 背中まであった髪をバッサリと切って オフィスに現れた。 その場に居た上司はからかい気味に 「失恋でもしたの?」 と彼女の表情を伺っていたが、 彼女とその彼氏の仲をよく知る私には そんなはずはないことくらい 彼女が言葉を返す前から明らかだった。 大体、失恋して髪を切るという行為自体、 今までの私に経験もなければ、 そんな友人を持った記憶もなかった。 正人が二人で暮らした部屋を出て、 今日で十日になる。 別離は私から切り出したはずなのに 夜毎、部屋に独りで居るのがたまらず、 こうしてまた、いつもの浜辺に来てしまった。 遠くを見つめながら波の音を聞いていると 潮の香りにまぎれて、ほのかに彼の匂いがした。 彼が喫うショートホープの匂いが私の髪に 染みついてはなれない。 私は涙が頬を伝うのを感じながら、 失恋して髪を切る人の気持ちが その時、初めてわかる気がした。 |
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冬眠
「熊って冬眠するんじゃなかったっけ?」 上野動物園の熊のオリの前で巧がつぶやいた。 季節は秋も深まり、やがて冬を迎えようとしていた。 私の恋には不思議な、そして哀しいジンクスがある。 今までに多くもなく少なくもない 人並みの恋愛をしてきたつもりなのだが、 過去に私は恋人と冬を迎えたことがない。 クリスマスやバレンタインデーがあり、 女の子にとって一番恋人にそばにいてほしいこの季節を 私はいつも独りで過してきたのだ。 温かい春や暑い夏の間はとてもうまくいっている関係が 涼しい秋になり、やがて寒い冬が近づくと、 なぜかすっかりと冷めきってしまう。 そして私はまるで、枝から舞い落ちる枯葉のように 路傍をさまようことになる。 「ヘビやカエルのように冬眠して意識のないまま 無難に冬を乗り切ることが出来たら・・・」 そんなことを考えたこともあった。 「動物園の熊って冬に来てもいるよな、 どうしてんだろう」 小春日和の陽だまりの中でそんなことを言う 彼の横顔を、私は祈る思いで見つめていた。 |
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手紙
基本的に、僕は人に手紙を書く時には とりあえず下書きをすることにしている。 そして出来ればそれを一晩ほど置いてみて 改めて読んでから、便箋に綴り直す。 一時の感情の勢いで、相手に失礼や誤解を 与えないようにするためだ。 しかし、それにも例外があって、 好きな人に自分の気持ちを伝える場合などは 僕の場合、勢いでしか書けない。 次の日に読み直すことなどもってのほかで、 小心者の僕は、書き上がった途端、 ポストに走るしかないのだ。 そしてそれを投函した時の僕といったら、 きっと目の前のポストに負けないくらい 赤くなっているに違いない。 |
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カレンダー
裕介へのクリスマスプレゼントについて 12月に入り、ずっと悩まされ続けている。 「手編みのマフラーなんて 期待されてたらどうしよう」 哀しいかな、私にはそんな器量はない。 彼と迎える初めてのクリスマスなのに 心は憂鬱だった。 デパートで何にしようか迷った挙句、 選んだものは彼の部屋に似合いそうな 極めてシンプルなカレンダーだった。 「来年も1年間、私をよろしく。 そして、この中の1日でも多く 私と同じ時間を過ごしてください」 という気持ちを込めたつもりだった。 カレンダー売り場でそんなことを考えていると 自分の部屋にも同じものが欲しくなってきて 結局、2つ買ってしまった。 |
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再会
半年前まで付き合っていた光司から、 昨夜、突然電話があった。 ぎこちない挨拶から始まったその電話の内容は 学生時代の共通の友人である雅治が 月末に結婚するというものだった。 それで私たちが別れたことを知らない雅治から パーティーの招待状が二人宛に届いているので どうするかということだった。 私は雅治や他の友人と会えるのが楽しみで、 迷わず出席することにした。 すると彼から、当日着ていく洋服についての 相談をもちかけられた。 結局、パーティーの日に 「未だうまくいってる二人」を装うために 日曜日に彼と会い、一緒に買い物をすることになった。 そう決まった時から、私の中では パーティー当日よりも久しぶりに彼と会う 日曜日に着る服の方が、とても気になり始めていた。 |
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距離
子供の頃、買ってもらったばかりの ピンクの長靴を履きたいのに なかなか雨が降らず、 あまりのじれったさに晴れた日に 学校に履いていったことがある。 そんな話を電話の向こうの和也は 「おまえらしいな」 と、いつまでも笑っていた。 彼が仕事の関係で東京を離れてから、 もうすぐ半年になる。 会いたい時に会えないじれったさを せつに感じる毎日だった。 電話の途中、外では雨が降りだした。 でも、彼が居る場所は星空がとても奇麗だという。 その距離があまりに哀しくて、 私は彼に「おやすみ」を言った後、 訳もなく窓を開け、雨空を見上げた。 風に吹かれ、頬に雨の雫が落ちた時、 私の心はすでにびしょ濡れだった。 |
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嫌いになる理由
それまでは理想のタイプを聞かれて 「楽しい人」と答えていた私なのに、 物静かな男を絵に描いたような涼のことを こんなにも好きになるなんて、夢にも思わなかった。 そんな意味で「人を好きになるのに理由なんてない」 ということを私に教えてくれた彼だったのに、 一緒に歩くことが出来ないとわかった今、 その彼を嫌いになる理由を、いくら探しても見つからない。 |
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虹
早朝まで降った雨のせいで、登校途中に 学校のそばにある橋の上から虹を見ることが出来た。 その虹が過去に見たものと違ったところは 一つだけではなく二つ、奇麗な二重のアーチが 川の両岸を結んでいたのだった。 その七色の美しさたるや、言葉では言い表わせない程で、 「きっともう見ることは出来ないこの光景を 目に焼きつけておきたい。そしてこの虹が 消えてゆくさまを見届けたい」 そう思った僕は時を忘れ、しばらくの間 橋の上に佇んでいた。 驚いたのはそう思ったのはどうやら僕だけではなく 気がつけば、隣のクラスの美穂が少し離れたところで 虹の行く末を見つめていたのだった。 彼女は成績優秀な極めて模範的な生徒で、 存在自体は知っていたが口をきいたことなどなかった。 そして、僕と彼女は始業のチャイムを その場所で聞くことになった。 結局、遅刻のペナルティーとしてホームルームの間 廊下に立たされることになったのだが、 教室を出てみてさらに驚いた。 なんと美穂もさっきと同じくらいの間隔で 立たされていたのだった。 ふたりは顔を見合わせ、しばらくの間笑っていた。 そして、落ちこぼれの僕と優等生の彼女の 橋渡しをしてくれた虹に、今もまだ感謝している。 |
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情
人間には情というものがあり、 友達に言わせると、どうやら僕にはそれが 人一倍濃いようだ。 初恋の女性からもらった手紙や、 嫌いになって別れたはずの彼女が 編んでくれたセーターなどを、 とても捨てられずに、押し入れの奥にしまってある。 未練などとても無いが、その時相手に対して 抱いた感情は今でも鮮明に憶えていて、 時々ふと、相手を想い返すことがある。 そのことを恋人の久美子に 誤解されないように慎重に話した。 すると彼女は、 「わかる、わかる、その気持ち」 と、微笑みながら平然と言ってのけた。 彼女も前の男の写真や、男にもらった アクセサリーなどを大事に持っていたり するのだろうか。 何とも複雑な気持ちだ。 |